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ボッチャ選手が教えてくれた。社会に出るツールと自分の意思の正体。


脳性まひというのは、日常生活を送るのために人の手を借りなければならない中、ボッチャが社会に出るツールとなった。
競技場では、自分の意思で自分で考えて決断できる。

そういう場をボッチャが与えてくれた。

パラリンピックNHKレポーター千葉絵里菜さんのご報告より

これは東京2020パラリンピックの閉会式直前、レポーターの千葉さんが伝えてくれた言葉です。
(だいたいこのような主旨のことをおっしゃっていました)

ボッチャ選手のどなたが発したものか聞き漏らしてしまったのが残念なのですが、とてもいい言葉だと思いました。

健常者であっても社会で生きづらさを感じ、集団に馴染めず悩む社会人が多くいますね。多くはコミュニケーションに悩みを抱えていると耳にします。


かくいう私もその一人です。

そこで冒頭の言葉です。

「自分の意思で自分で考えて決断する」

ということが私自身欠けている、と感じたのです。


自分の意思と社会に出るツール。具体的にどういうことなのか考えてみました。

「ひとときの感情、それもフッと沸き立ってすぐに消えてしまうお湯がぷくぷくとする泡のような感情」

を指して「自分の意思」と思い込んではいませんか?私はそう思い込んでいました。

振り返ってみて、それは自分の意思といえるのか。いいえ言え無いような気がします。

では自分の意思と社会に出るツールの関係性。それは、

・多少なりとも継続性に幅がある事柄(数週間〜数ヶ月単位から、幼いころを振り返ってみて今でも続いていることやもの)
・他人と話題を共有できる事柄(できることなら明るい日中、人前で交わせる話題かどうか)

この2つが両立する自分の興味や体験、経験、考え、理想が、社会に出るツールとして最適と言えそうです。


社会人にもなってしまうと、自分がどうの以前に、

「社会が必要としているのかどうか」

という視点から考えてしまいがちですが、そうではないわけです。

つまり、ニッチであるかどうかは関係ないということ。

「自分を構成するもののうち、何を自分の外に出していけるか」

ということなわけです。

自分の外というのは、それこそ「インスタやツイッターYoutubeなどSNSで」表現するのがいまどきでしょうか。

他にも
・ブログを書く
・集団に混じる
・ホームページにストックする

など、手段は色々ありますね。

一番必要なことは「自分の外に出していく」ということ。

人付き合いが苦手だとか、そういうことも関係ありません。
人付き合いが得意な人はサークルに参加したり会社に飛び込めばいいし、苦手な人はインターネットを活用すればいい、というだけの話。それこそ身近な人に協力をあおいでもいいわけです。

自分の外に出すためには、ダンスやスポーツなどを除くとほとんどが言葉を伴います。

言葉まで失う必要はありません。